私が、高校生活とOL時代2年間(転勤赴任しただ)過ごした米沢へ 車を走らせて

ちょっとだけ 大王が、次の出張先を下見して

その間 私はおりこうさんして思い出の地に足を延ばして

ここで 「男の担当者はいないのか。女に何ができるんだ。」と言われ 心が折れ 罵声を浴びせられたこともあったね。

だんだん 打ち解けて赴任最後の頃はすっかり 人として対応してもらえたけどね

まだ 男女雇用均等法が浸透せず へし折れた私を慰め 気合を入れてくれたのも 大事な実家の家族だったね。


そんな事思い浮かべながら この建物(諸所の関係で建物の一部のみ公開です)を見て 何故か涙が頬を濡らして 

「えぃっ!センチになんか なってないわい」と そんぴんたかり炸裂させて

ここが、舞鶴橋


上杉神社のお堀を見ながら 米沢は、亡き父の看病や 現在この地の老人ホームに入所中の母を思い出しポロポロ涙がこぼれてきて

「今日はやけに 目から生ぬるい水が零れ落ちる」と強がりを言う このそんぴんたかりの私

コロナ禍でなければ 母の元も実家にも行けたのに 断腸の思いでした。

神社の参道近くで威勢のいい 上杉(うえすぎ)太鼓の音が


なんというお名前か知らないけど メットを被ったお兄さんが 撮っておくれと催促するので


こちらにおわしますのが 上杉謙信公


こちらの方が上杉鷹山公


ここでも 人の距離を持ちましょうと 神社の参道で


どこかが抜けているのです。

頭の中高校時代のパン争奪戦を思い出して本殿の写真を撮らない抜け作が私です。

上杉神社の奥にあった 春日神社 始めて行きました。


大王は 上杉神社の中をくまなく 見て感激していたようです。

そうそうこの米沢は 伊達政宗生誕の地だったんだよ。


肉は まだか?って お肉は 明後日ね、