そうだった。 [わたし]
勾当台公園の脇に銀杏並木があり 宮城県庁がある
この近くで 二年ちょっとアルバイトをさせてもらった。
トロフィーとか優勝カップの前面についてるプレートに文字の刻印をするという地味な仕事だった。
昨日書いたように太田裕美の「赤いハイヒール」気分 の私にはコンプレックスである訛った言葉を話すこともしなくていいし
仕事に集中しながら 妄想を繰り広げても誰にも迷惑を掛けないから 私にとって最適な仕事だったのかもしれない。
在学中に就職が決まり 喜んで送り出してくれた会社の皆さんへは深く感謝している。
他にも色んなアルバイトはしたが 今中学生がやってる職業体験のように自分の適職は何か
世の中の人はどんなに苦労してるのか 見出すには絶好のチャンスだと思う。
職業主婦になった私
家に帰って ご飯作ろう その前に昼寝でも・・・
勤勉のみじんの欠片も消え失せてしまったが その代わり 自然体で過ごすことの心地よさと
人を気遣い 人に気遣われ 笑顔と温もりの日々がいつもある
そんな忘れてしまった大事なことを気づかせてもらえた11月のはじめの事だった。